長州藩主毛利敬親が幕末の文久3年(1863)12月に一露山のふもと、現在の県庁の位置に萩から藩庁の移転を計画し、慶応3年(1867)に竣工した長州藩の正門で、脇門付薬医門です。
屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした切妻造りをしており、建物の平側(棟に対して直角方向)に出入口を設ける平入りという形式で、本瓦葺きです。現在は正門と堀が残っており、山口県の重要文化財に指定されています。