本道北側にある庭園は29代大内政弘が室町時代に画聖・雪舟に依頼し築庭したものといわれています。
内庭は約30アールの広さで、東・西・北の散歩を林で囲まれており、水と石に主体が置かれ、簡素にして豪放。
雪舟の山水画そのままの名園として知られ、国の史跡及び名勝に指定されています。
重森三玲による枯山水様式の南溟庭(なんめいてい)は、雪舟が入明し、帰国するまでに往復した海をイメージしたとされています。

大正15年(1926)5月3日昼、民家の火事による類焼で鐘楼門と宝蔵を残して焼失しました。
本堂が再建されたのは昭和8年(1933)の事で、さらに諸堂は昭和27年(1952)に建立整備されました。